日常の〝悩み〟に終わりはない。「教師」と「旅人」二足の草鞋を履いてわかったこと【西岡正樹】
「井の中の蛙大海を知らず」というが果たして・・・
【「世界中に自分の働く場所がある」ベトナム在住の教え子と再会】
10か月以上の旅を2回続け、同じような精神的な状況に陥ったのは、自分の何かを変えなければならないということなのだろう。自分なりの旅のスタイルを確立する時が来たようだ。私は「教師をしながらも、旅に出たい時に旅に出る」という新しいスタイルを模索し始めた。そして、社会的状況がそれを求めていたということもあり、ある年は欠員が出た学校の求めに応じて臨時教員となり、ある年は自分の思いに従い旅に出る。そのような「教師」と「旅人」という2足の草鞋を履くライフスタイルを、私は確立したのだ。私にとってそれが長いのか短いのか分からないが、それから23年という時が過ぎた。
その間に、私は国内外66か国約16万Kmをバイクで旅をした。ワールドワイドな旅をしたのだから、私の視野が広がりワールドワイドに動ける人になったかというと、けっしてそうではない。私はいつまでたっても目の前に起こる出来事に右往左往し、それに対応するのに精いっぱいである。
私は国連に参加している国の半分も満たない国しか訪れていないのに、「ワールドワイド」という言葉を使うのもおこがましいと思ったのだが、一応世界の5大陸に足を踏み入れたということで使わせてもらった。ワールドワイドに世界のいろいろな所に行けば行くほど、私の視野が広がったかと言えば決してそうではない。グローバリズムな思いを抱くよりも、私の中ではナショナリズムが高まっていったのだが、それは納得できた。日常と非日常は繋がっているようで繋がってはいない。
今、私は東南アジアを旅している。
ベトナムには、私が高校生の時に抱いていた夢を実現している教え子がいる。「世界中に自分の働く場がある」そんな生活をまさに実践している教え子だ。ここではその名も所属機関名も差し控え「国連の専門機関および関連機関」の1つに所属しているとだけ記しておくが、そういう機関で働いている者がすべて「ワールドワイド」な視野を持ち、全世界の人々の幸せのために働いているのだろうか、こんな私だからとても興味がある。
ベトナムに滞在している間、私は教え子にさんざん世話になった。「持つべきものは教え子だな」とつくづく思ったのだが、それだけではない。自分が経験したことのないことを経験し、今も世界中の人々が幸せになれるように「援助する」世界機関に勤め、活動している人と話をするのはとても面白い。教え子と話を始めると瞬く間に時間が過ぎ、カフェに入った時間も忘れる程だった。
話の中で分かったことなのだが、教え子が日本を出ようと思ったのは「閉塞感」からだという。日本社会は、効率的で便利である。しかし、すべてはその「効率」と「便利さ」に縛られ、すべての人がそれを求め、求められている。そこには無駄がなく、余白がない。その中で感じる息苦しさから逃れるためには、日本を出るという選択しかなかったようだ。しかし、外国に住んだら「閉塞感」はなくなるのか、話はそう簡単ではない。
教え子にとって、ハノイに来た当初に圧倒されたカオスや同時に味わう解放感は、一時的なものに過ぎなかった。しばらくひとつの国にいると次第に見えてくる様々な課題は、日本の持つ課題と異なるが、全く違うわけではない。それが明確になればなるほど教え子にプレッシャーがかかる。それは自分に直接に関わってくるものではないが、ベトナムに住む人たちの「息苦しさ」に共感してしまう自分がいるのだ。
・経済成長著しいベトナムだがその恩恵にあやかられる人はあまり多くない
・閉鎖的、専制的な政治
・汚職が蔓延する政治経済システム
・庶民の生活は相変わらず厳しい
上記の課題は、教え子がベトナムにいて感じる課題なのだが、それらの課題はベトナムだけのものではなく、日本も含め多くの国がもっている課題ではないだろうか。世界は多様ではあるが、抱えている課題は決して多様ではない。人間性や人間の営みはワールドワイドな世界という広さで捉えても、ひとつの国のひとつの地域という狭い世界で捉えても、根本的には常に同じような課題を多くの国が持ち続けているように、私には思える。人間の営みの中で大切にしなければならない物事の本質は、「多様ではない」のではないだろうか。